情報の自由と不自由

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「本が読者に届かない」Amazon商法に公取委が突入で炙り出される出版業界の予後不良(山本一郎) - 個人 - Yahoo!ニュース

良記事。/近世の本屋は店頭販売もあるがお得意さんを回って販売するのも多く、お得意さんの嗜好に合わせた本を持っていくし、それが本作りの現場にフィードバックされたりもしたらしいが、先祖返りというべきか。

2018/09/20 08:32

ブコメしたのだが、その後に思った散漫な色々を追記。

インターネットの黎明期、そこを情報の自由が許された楽園の様に語る人々がいた。
私もその内の一人で、リアルの世界では情報はお金とコミュニケーション能力のある人の所にしか来ないけど、インターネット上なら好奇心さえあればリアルで届かない情報にも届くと漠然と思い、ワクワクしていたのだ。(一方そこにリアルで充実してるような企業やユーザーが参入してくることを快く思ってなかった)
私自身はといえば継続的かつ発展的な好奇心を維持できない散漫な人間なのでその恩恵はあまり被らなかった気がするけど、それでも、例えば当時、発展してつつあるとはいえ極めてまだマイナーだったデスクトップ利用のLinuxの設定関係に関しての情報などは、比較的最新の比較的細かい情報を得ることが出来たりしていたので、一概に恩恵を被ってないとは言えない。
当時、電子書籍はまだ遠い夢に感じたし、今のような書店の末路は「若者の本離れ」の文脈でしか語られてなかった様に思う。

もし、当時の時点で現状を想定し、例えば業界共用の電子書籍ビューワーの開発や電子書籍販売システムの構築を進める人がいたら(いたのかもしれないが)どうだったろうか。

でも、どうもあまりいい想像がわかない。
たぶん、なんのかんの理由をつけてそれを使おうとしない企業・消費者が多かったんじゃないだろうか。ほとんどの人は無関心で、関心がある人の中でも声の大きい人は生まれたばかりのそのシステムの欠点をあげつらって、あげく「このシステムが発展することによって書籍文化は破壊される!!」みたいな話をして叩いて、一方でその後AmazonKindleみたいなものが始まるとそっちに飛びついて「日本製にこだわるのはガラパゴス思考だ」とかいう人が出て、
で、世界線は同じところに集約されると。
まあ、基本的に悲観的な私の妄想に過ぎないが。

Amazon商法は、現状の情報環境の中で情報流通で利益を得ようとする企業の努力によって編み出されたものであり、それ自体は純粋に利益追求システムであるから、文化の発展や業界の発展は埒外なのは至極当然。
Amazon商法によって消費者に本が届かなくなった部分がある一方でAmazonによって今まで届かなかったところに本が届くようになった部分もある。
郷里の田舎では、まともに生きてる本屋は1町に1件あるかないかだ。主要国道などのロードサイドの大型店はまああるけど、そこから脇道にそれた町にはもはや書店そのものが無いエリアだって多い。

そういうところでも、インターネット回線がありと宅配圏内であればAmazonやその他ネット通販なら本が買える。電子書籍なら言わずもがな。Amazon商法による弊害とAmazonによるメリットの比較で言ったら、正直メリットの方が多いのではないだろうか。
じゃあ今の状態がベストなのかと聞かれたら、ベストではないと思う。


インターネットに「情報の自由」を感じた時代、それでも当時様々な情報が電子化されつつあったが、基本的に文化は物や人を媒介にする必要があった。
物や人が少ない地域、来にくい地域では文化そのものが発展しにくく、だが一方で中途半端な情報流通は、その地域でほそぼそ伝承されて来た文化をやんわり破壊して行き、文化の空白地域が生まれてきつつある時代だった様に思う。
インターネットや電子化は、そんな地域に住む人間にとって物や人を介さないでも文化に触れる(実際はPCや携帯に触れなければアクセスできないわけだが)事ができる状況を与えてくれた。だからこの自由は「物や人からの自由」だったのだろう。
(まあ、この自由は例えば「著作物の内容を勝手にネットにアップする」とかによって成立していた部分もあるわけで、社会正義的にはどうなのという話ではある。)

その後の情報化の進展によって色々な場面で「物や人からの自由」は推し進められたけれど、それは同時に「ネットワークやシステムによる束縛」のスタートにもなった。

あるシステムの便利さを知った人は、容易に他のシステムに移らない。
システム側も、それが利益につながるなら、そのシステムを使う人間を離さないために何が出来るか、どんなメリットを生み出すかを考え、改善していく。
あるシステムに束縛される不自由さと引き換えに与えられるシステムを使うメリット。それが個人的に見合うなら、そこに他人が口を挟む余地はない。
大体Amazon商法が良くないと言って、じゃあ従来の書籍流通は良かったのかといえばそんなことは無かった。ただ王様が切り替わっただけで、支配されている状況は変わらない。この状況で自由を求めようとするなら自らの願う形でメディアや流通システムを作るしかないが、そこまでする気力も技術もアイディアも無いなら、諦めて受け入れるしか無い。

いずれ、Amazonに変わるシステムが登場するだろうし、もしかしたらAmazonが瓦解する日が来るかもしれないが、その日は別に消費者が流通から本当の自由を得る日ではない。
というかここでいう「自由」はイコール「便利」でも「快適」でも「幸福」でもない。
「便利」や「快適」や「幸福」を手に入れるなら「若干の不自由を受け入れる方が早い場合が多い。そのシステムが自分の自由とバッティングしない限りそれで問題ない。
逆にバッティングする時は、そのシステムの利用が「便利」で「快適」で「幸福」であればある程、自由を得ることは極めて難しくなる。

願わくば、必要な時が来たら、「便利」や「快適」や「幸福」を捨ててでも「自由」を選べる強さを、それが無理なら「自由」を諦められる弱さを。