…とは別な軸

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昔々、私はリベラルだった。 - Togetter

自分が愛するあり方を他人に強要することはなにを自称しようとパターナリズムだし、他人のあり方が嫌悪すべきものであっても尊重するならリベラル。勝ちたい人はパターナリズムにならざるを得ない。

2018/09/13 18:26

ブコメしたけど一言補足。

いわゆる「リベラルを名乗る人」と本当にリベラル的であろうとする人は別物。

リベラルという言葉には色々なイメージがこびりついているけど、辞書で見るなら「自由」とか「寛容」とかが出てくる。
自由や寛容さを良しとすることがリベラルの本来の意味であるとするなら、その人がリベラルであるかどうかは、結果的にその人がどうあるかによって評価されるべきことだ。
リベラルを訴えることではなく、「リベラルであること、あろうとすること」こそが重要なのだと思う。

件の人は、リベラルを自称しその実リベラルであろうとしない人々に愛想をつかし、リベラルを自称する人々から離れると主張しているわけで、それは気持ち的によくわかる。

ただ、だからと言って逆側に行くのならリベラルを自称するパターナリストと一緒だとも思う。この人が本当に求めている道は、左とか右とか革新と保守とかの2次元の軸じゃなくて、3次元に走る軸なのだと思うのだ。

この人だけでなくリベラルであろうとするためには、世界の現実を構成する様々な軸「とは別な軸」に常に改めて気づき続けることが必要なんだと思う。