多様性の意義とその確保に必要なもの

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この記事に対し

『LGBTが気持ち悪い人』の感覚―「理解」と「罪」の認識のズレ - 宇野ゆうかの備忘録

良記事。「適度に放って置く」ことが出来ないということは「自分に同化しろ」の裏返し。/(ただ、そういう主人公が頑ななキャラの心を開くみたいなストーリーは持て囃される世の中であり、なんともモヤモヤする。)

2018/04/10 09:01

ブコメしたのだが書き切れなかったので追記。
件の記事を読んでいてなるほどと思ったのはここの部分。

差別感情が強い人の『理解』のポイントがズレてるのは、自分と他人の区別がつかない人の感覚と、とてもよく似ていると思う。相手に、自分と同じ感覚を持つことを要求されていると勘違いするのは、つまり、自分が、自分と同じ感覚を持っていない相手を受け入れられないことの裏返しなのだ。

たぶん、件のBさんやインタビュアーにこのことを伝えても理解されることは無いだろうと思う。でなければ、差別意識を無邪気に正当化出来ないだろうと思う。
で感じたのはブコメしたようなこと。

おせっかいな主人公

アニメや漫画や小説には「苦しんでいる人のことが放って置けないお人好しが、その人の苦しみに踏み込んで解決しようと頑張り、ついには苦しみの中で頑なになっていた人の心を開く。」みたいな展開の作品ってのは実に多い。
そして、私はそうした展開、割と嫌いじゃないのだが、一方でいつもなんとなくもやもやしたものを感じてもいた。

物語の場合、その苦しみは割とわかりやすい形で表現され、また、主人公の力によってある程度解決が可能なもの、あるいは少なくとも主人公の力の振るえる場面を交えて描かれる。
苦しんでいる人が居て、苦しんでいる原因や解決法が割とはっきりしていて、それを解決する力などがあるのなら、その解決に手を貸すことは悪いことではない、とは思う。

でも、現実の社会において、そんな風に正解がはっきりしている問題なんてのはほとんどない。
ある人から見て上記のような状態に見えても、当人や関係者から見たら全く別な状態にあったなんてことはよくあることだ。

そうした時、自分から見た状況を絶対とし自分が考えた解決法を正解と思える人は、当事者たちの感覚や考えを全く無視して、自分が正しいと感じるものを押し通そうとする。そしてそれが否定された場合、それは自分たちへ、というより“正義”への全面攻撃であると捉え徹底的に戦おうをする。
「お前の思い込みをふっとばしてやるよ!」的な展開。
物語では、それでいいだろう。
でも本当にそれはふっとばして良いものなのか?

多様性の確保は混沌への入り口

現実の世界ではふっとばすべき「敵」や「悪」はわかりにくい。
というか絶対的な「敵」や「悪」は存在しない。あるのは「ある人の世界観」の中での「敵」であり「悪」だけだ。だからふっとばせない、ふっとばすべきではない場合がほとんどだ。大変気持ち悪い。もやもやする。でもそれこそが「多様性が確保された状態」なのだと思う。

多様性の確保とは、「“多様性を確保していこう。みんなの考え方を理解し認め受け入れていこう。”という価値観に同化することを求める」ことではなく、「“多様性なんかいらない。私は私が正しいと思う価値観に従って生きる。”という個々が共存すること」だ。
もやもや前提、気持ち悪い前提、息苦しさ前提なのだ。
マジョリティにとって清くも正しくも美しくもないその世界。でもそういう世界でなければ息もできない人がいる(私含む)。
だから多様性の確保が必要なのだ。けしてマジョリティの正義のためではない。

多様性とは混沌性でもある。割り切れないものを割り切れないもののまま。
だが、それだと利害がバッティングする場合がある。その場合どうするのか?片方を正しいとしてもう一方を無くすなら、それは多様性を失わせる。多様性を確保した上で共存するためにはどうしたらいいのか?
多様性の確保に必要なのは「優しさ」とか「清らかさ」とか「正しさ」とかではなく、異質な存在と共存するための「知恵」や「技術」や「仕組み」であり、「適度な鈍感さ」や「冷静さ」なのだと思う。