本屋の未来?

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この記事に

ブコメしたけど補足。

昨今(と言っても話題になってからもう20年近く経っているけど)、体験マーケティングというのが販売の現場で羽振りを利かせていて、つまり「物を売るのではなく、“価値あるものを買う”という体験を売る。」みたいなやり方が効くと言われているので、件の記事の編集者はたぶんそういう視点から発言したのだろうなあと思う。
で、件の古本屋さんは「体験の仕方にも色々あるでしょ」という話をしているという事なのだと思う。

つまり、「独特な本の匂いに囲まれた静謐な空間でゆっくりじっくり自分の気に入った本を選ぶ内省的な時間」を意図的にお客様に用意するのもまた一つの体験マーケティングであり、あるいは「ファッショナブルな空間で店員さんと会話を楽しみながらファッションを選ぶように本を選ぶ時間」も同じく一つの体験であって、どちらも唯一の正解ではないが、それを前提にその場、扱うもの、その時期、そこに来るお客様のニーズに応じて、より最適な方法を採ることが、少なくともマーケティングの視点からは重要であるということだと思う。

個人的には「おすすめ」が嫌い

個人的には、服屋でも本屋でも家電屋でも、話しかけられるのは苦手。過剰な接客をされると逃げ出してしまいたくなる人間なので、Amazonのおすすめなんかも鬱陶しくて仕方がない。
内省するに、これって「俺の選択を邪魔するな。余計なこと言うな。」という業の深さが根本にあるのだけど、同時に「周りの雑音で簡単に影響されてしまう心の弱さ」の故でもあるのだろうと思う。
「おすすめ」を「命令」と感じてしまう弱さ。だから、話しかけられることを忌避してしまう。
コミュ障の直接の原因は本人自身の自我の弱さ(それは取りも直さず自己肯定感の低さ)にある。
弱い自我を守るために他者からの働きかけに過剰に反応してしまうのだが、それはとてもしんどいことなのでつい忌避する方向に行ってしまう…ということなのだと思う。

精神的にきちんとぶれない自分を持っている一般の人達には言葉は言葉でしかないのだろうけど、私には飛び交う一言一言がパンチの様に感じる時がある。どんなに優しい言葉でもそうだ。
どうやってダメージを避けられるか、どうやって相手にダメージを与えずに(あるいは的確なダメージを与えて)言葉を届けられるか。
おそらく第三者的に見て何気ない会話の風景に見えるその場面で、そんなことを必死に考えながら言葉のやり取りをしているのだ。
「何をそんなに守ろうとしているの。傷ついたっていいじゃない。」
と言われたことも過去に何度かある。
全くその通りで、傷ついたって良いと開き直って会話しようとしたこともあるが、結局ものすごい精神的ダメージを受けた上に相手に伝えたかったことは全く伝わらずむしろ誤解され、立ち直るのに何か月もかかった。
上記の言葉は、リングに上がったボクサーに「ガードなんかするな」と言ってるようなもんなんだけど、もちろん言葉がパンチに感じない人々からすればごくごく当然の言葉で、もうこれは仕方ないのだろうなと思う。
私はたぶん、死ぬまで言葉をパンチのように感じながら日々を過ごすだろうし、そういう人間にとっては声掛けされる接客は銃弾飛び交う戦場に飛び込むようなものだから、しないで済めばそれに越したことはない。
(だからと言って人と触れ合いたくないわけでもないのだ。ああ、我ながら面倒くさい。)
(そんな人間は、物自体で、あるいはPOPで、書かれた情報で、雰囲気で人を感じようとする。ああ面倒くさい。)

求めるものを与えることの多様化

閑話休題

「ねじまき鳥のクロニクル」だったと思うけど、主人公の叔父が実業家で、その成功した方法っていうのが、いいなと思う店舗物件のところで一日に3~4時間ずつ何日もそこに立って、その前を行きかう人の顔を余計なことは考えず無心に眺め、思いついたことをやる…というやり方だった。
これはまあファンタジーだから、これで上手く行く人がどれ位いるかはともかく、自分のやりたいことではなく経済効率でもなく、その場所、そこを通る人々を見てそのニーズを汲み取ることが大事という点はその通りだろうと思う。

結局のところ、会話を楽しむ人々、人と触れ合う経験を求めている人々をターゲットにするなら、そういう体験を軸にしたマーケティングは成功する。そういう人たちが集まりたい空間を用意し、そういう人たちが喜ぶ本をセレクト出来たら完璧だろう。
それはたぶん本屋さんの未来像の一つとして有りなのだろうと思う。今ほとんど無い=これからも無いというわけではない。
以前スゴ本(わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいるとか)絡みのコンテンツをチェックしていた時期があって、オフ会の様子などああ、楽しそうだなあと思ったりもした。ああいう空間。
互いに良いと思う物をおすすめしあって、それを販売するようなショップっていうのはたぶんありなんだろうな。
(でもねたぶんそういう空間に私の居場所は無い。モランが灯りに引き寄せられている様なもんだと思うのだ。)

そういう店を求めている人もたぶんいるし、たぶん客を得れば売上も伸びるだろう。その結果、ゆっくり本を選べない、本を選ぼうとすると店員があれこれ話しかけてくるみたいな店が増えて行く可能性は無くはない。
そんな店ばかりになったら、私は「本屋に行く」という体験自体を諦めるだろうと思う。
「求めるものを与えること」が経済の根幹だと思う。で、「求めるもの」を画一的に捉えることで効率化を図り経済規模を大きくしていった果ての今の状況。大きくなり過ぎ画一化された「求めるものを与えること」をより細分化していくことこそが重要なのだと思う。

かつての様に画一的に、どこの本屋も「本屋では静かに」を当然としていた状態が唯一の正解ではないのだろうけど、だからと言って逆の方法がいつでもどこでも誰に対しても正解ということではない。
願わくば、私の様な人間でも静かに本を選べる店が生き残りますことを。