リベラルは思想か旗印か



「リベラル」って言葉を属性と考えるか思想と考えるかで解釈は大きく変わる。

大体が、典型的な革新&右翼政党が自由民主党を名乗っている国なのだから、リベラルと言う言葉についても何をか言わんや。

同時に、「リベラル」という言葉を何の条件も無しに使うのもまた問題が多いのだろうと思う。

つまり、日本国においてリベラル=自由とは既存の枠組みからの開放をイメージさせることが多いが、既存の枠組みを含め求める通りに生きることを受け入れ、選べることこそが本来の意味でリベラルなので、「反自民」はすでにリベラルではない。

と、思う。

リベラルな思想がネットで弱いのは、リベラルを本当の意味で目指している政治組織がないのが一番大きいからだが、旗印としての「リベラル」はともかく、思想としてのリベラルは多様性や共存を求める。

そうなると、より自他共に誠実にリベラルであろうと考えるなら、様々な場面で決めつけは出来なくなる。多様性の否定につながるから。

そして決めつけが出来ない文章は、弱いのだ。

うだうだ話し合うことを求めるより、剣の一閃で勝負が着く場面は多い。そして、勝負が着くことを最善とするなら、話し合いは愚の骨頂なのだ。

でも、そうではない。面倒くさくても、話し合うべきなのだ…、と主張するのは、剣を持たないものだけだったりする。

 

とまれ。

 

多様性、自由、共存、尊重。

それらはとてもわかりにくいのだ。

それをわかりやすく説明できない方が悪いのは一部においては確かだが、汲み取る努力を放棄した人間に伝えることは容易ではない。

自由が必要ない人間にとっては自由は不自由なのだ。

 その人たち、つまり自由を求めてない人になにが伝えられるだろう。

だが、それでも右派言うのだ。叫ぶのだ。

それは負けるよ。

もっと、人間心理のレベルでリベラルを語れる政治家が現れたらなあ…と願わずにいられない。