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「全にして個」の理

手短に

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国連見解「沖縄の人々は先住民族」に自民議員が猛反発「民族分断工作だ」 政府も「撤回働きかける」 - 産経ニュース

日本国を構成する市民として沖縄に住む人を平等に扱うことと、琉球王国の歴史を認めその独自文化を尊重することは全く矛盾しない。ごちゃ混ぜにすることが本当の分断=差別の始まり。

2016/04/28 02:05

ブコメしたが補足。

例えば、ある会社で「全社一丸となって」とか言ってるような場面で、実際には一部の人に雑務が押し付けられてその人の周囲は自由が効かない中ヒイコラ仕事して、出てきた成果は口先だけの奴がかっさらて行くなんて言うのは現実の場面でよくある。
(コンサル名乗る人間の8割はそんな連中の印象。彼らは「それを実施する」ことを考えずに夢幻を語るが、それはともかく)

こういう時

「いや、本来この仕事は○○さんの仕事なんだからそちらでこなして下さいよ。」

と主張すると、当の○○さんは

「え!?あのね、このままだとお客様に迷惑がかかるからお願いしてるんだよ?なに?クレームになっても良いわけ?責任とってくれるの?」

みたいなことを言い出す。(まあやや誇張しているけど、おおよそこんな感じ)
そうは言っても、こちらは自分たちの作業で手一杯で余裕が無いから重ねて主張すると、不承不承そのヘルプの件は取り下げるが代わりに侮蔑と憎悪のこもって目で舌打ちされ、その後、事ある毎に「あいつは非協力的だ」と周囲に吹聴される。

いや、現実にそんなことがあったという話ではない。
がまあ、こういう状況ってよくあると思う。
で、私がいいたいのはそういう状況嫌だなあという愚痴ではない。


この時、○○さんが依拠しているものと、件の「“沖縄の人は先住民族だ”というのは日本民族の分断だ」と考える人々が依拠しているものって共通しているのじゃないだろうか?ということが言いたいのだ。

私自身の意見はブコメに書いたけど、上で書いた例で言うなら、

「全社一丸となって」

「自分の仕事は自分達でこなすことを求める」

ことは矛盾しないと思う。
○○さんは、「全社一丸となって」いるのだから「自分の業務はみんなの業務、自分の責任はみんなの責任。」であるから、「自分の業務を他人がサポートするのは当然だ。」と主張する。
だが、それによって私が自分の仕事をこなせなかった場合、そのミスによって滞りが発生するが、彼はそれに対するサポートはしない。
「それは貴方の仕事でしょ。こっちもヘルプを頼まなきゃいけない状態なんだからサポートできるわけないじゃない。」と宣う。
これは「全社一丸」だろうか?

否だろう。

それぞれがそれぞれの範囲で引き受けた業務をきちんとこなすことで効用を最大化することが基本であり、それが出来ないなら、過不足が出るのなら、大本の計画、枠組み、思想が間違っているのだ。
間違っている計画に従って「全社一丸」を押し付けるからおかしくなっていくのだ。


以前、「東北人は薩長に占領された歴史を持っている」という話を書いたら今回みたいな「民族の分断だ」的な話が出て閉口したことがある。
でもそれは事実だ。
明治維新が無欠革命だったなんてのは大嘘で、戊辰の役では多くの人命が失われたし町が焼かれ略奪や強姦や虐殺も行われた。
その上で、日本という枠組みが出来上がって行った。
日本という枠組みは確かに一つであるが、それを構成する要素は種種様々で、その枠組の意味合いもその境界線も時代とともに変わってきた。

「日本という一つの枠組みの下で、比較的似通った文化と遺伝子を持つ人々が平和共存している。」こと自体は大変価値のあることだ。
だが、それを称揚するために、その枠組に組み入れられている人々が全て実際に均質な存在であると考えることは間違っている。
否、むしろ、それぞれがそれぞれの歴史と文化を持ってあることを認めることが、それらの統合体が独自の歴史と文化を持つことを認めることでもあり、いわばその「全にして個」の理を認めることが全体の安定をもたらすのだと、私は思う。


(でもこれ、そうでなければ=存在を許容されなければ生きづらい人間だからそう感じるのかもしれない。自分に自身がある人々は違うのかもなあ…)