他者からの押し付けを受け入れることは「足るを知る」ことではない

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この記事に

日本はもう「普通の国」だから、安定した職場に居続けると、本当にマズいかも。 | Books&Apps

普通の国で必要なのは「足るを知る知性」じゃないの?/ブラック企業で餌食になった人はこういう人達によって永久に食い物にされるのだなあ。最初の話の知人は賢明だ。

2016/04/26 08:07

ブコメしたけど蛇足。

この記事主は、「普通の国」を「経済の先端を行く国ではなく、そうした国の影響を受けながらそこそこの経済規模であまり発展しない国。」みたいな意味で使っているように思う。

で、「普通の国で安定した職に就いている」人が、「発展を望み少しでも多くの利益を追い求めよう」と考えるなら、確かに矛盾していると思う。

発展とは流動・変化の一部であって、発展するところには没落もある。リスクを取るからリターンも大きくなる可能性が出てくるが、リスクのみで終わる可能性もある。「発展」とは土台そういうものだ。「安定」と「発展」は真逆と言っていい位違う。
ブラック傾向の強い企業が、それでもなおある種の人々を惹きつけるのは、そこに「発展」(正確には没落・逆境・苦難も含めた「変化」)が、安定志向の企業に比べて大きいからだ。

どちらが良いかという話は、しかし、結局その人その人の価値観によるだろう。
私も一時期「発展」を目指して失敗した。
その時つくづく自分のダメさ加減や限界を知り、変化の大きい職場では自分の資質はリスクにしかならないと思い至り、今では完全に安定志向に転じている。
だから、件の記事の前段に出てくる「普通の国で家族を理由に安定した職にしがみついている人物」に感情移入してしまう。(まあ、その人は才能があるのにそれを使おうとしてないらしいからその点で私とは大きく違うが…)

私自身は「普通の国で普通に安定した生活をおくること」自体はそれで十分に価値のあることだと思う。

たぶん話のスタート地点が違う。
私は上で「安定」を「変化」に対する対立項として語った。
だがこの世界で絶対的な「安定」というものは存在し得ない。
あらゆる「安定」しているものは、様々な力を常に受けながら絶え間ない変化にさらされながら、結果的に「安定して見えている」だけ。

だから私は「安定」というものは(ことこの世界においては)多大な努力や運やその他の複合した結果の奇跡(というのは言いすぎか)だと思うのだ。
例えば、コンロに鍋をかけて水を沸かし、一定の量の80度のお湯が入っている状態を保とうとするにはどうしたらいいだろう。
今の鍋の水が何度かを知るのは最低限必要だがそれに加え、火の調整が重要になる。また、長時間になるなら蒸発した分水を足したりすることも必要だろう。そうやって初めて一定の状態を保つことが出来る。
「安定してみえる生活」もまたそうで、周りの状況、自分の能力、それを動かす戦術戦略。それらを駆使して手に入れられるものだと思う。
かつての経済規模がどんどん大きくなっていた日本でなら、それは比較的楽だったかもしれない。
だが、今のように経済規模が縮小する「普通の国」の中で「安定してみえる生活」を築くことは、この国を捨ててリスクを取りながらリターンを求めるのと負けない位、価値があることだと思う。

で、それを構築できるかどうかのポイントは「足るを知る」事ができるかどうかなのだろうと思う。
足る・足りると思ったらそれ以上を求めない。
ここで重要なのは、この「足る」は本来他者が決めた「足る」ではないということ。
自分の価値観から見て足りると感じた時、躊躇なくその他の可能性を捨てることが出来るか?

湯沸かしの例で言えば、「足るを知る」とは、温度を知り火を調整する力だ。
例えば「誰かがこの鍋のお湯は80度だよと言った」からそのまま放っておく、それで調度いい湯温=安定を維持できるだろうか?出来ないだろう。安定を本当に願うなら自分で感じ考え決断することが必要だ。

ブラック企業などで求められる能力は会社の考えを盲信する能力だ。会社が80度と言えば80度なのだ。たとえお湯がブクブク沸騰していてもヒンヤリ冷めていても。
他者からの押し付けを受け入れることは「足るを知る」ことではない。
「足るを知る」とは畢竟、自分の心、天の時、地の利、人の力それぞれをきちんと明らかにわかることなんだと思う。
諦めるとは明らめる。明らかにわかったことをそれに応じて行動する。

件の記事の「普通の国で家族を理由に安定した職にしがみついている人物」はどうか?
もちろん私はこの人を知らないので、「自分自身ではもっと行けるもっとやりたい」切歯扼腕しつつ諦めているのか、自分自身納得した上で諦めているのかはわからない。願わくば後者であって欲しいとは思う。