神の国への道は茨に覆われている

この記事を読んでなんだか懐かしい気持ちになったのは、愛読している星新一の作品にこうした世界を描く話がけっこうあるからだ。

一番大好きなのは『声の網』。
使われてるデバイスは電話機だが、今のネット社会を彷彿とさせる状況の中であるマンションで毎月起こる奇談12編で構成された作品集で、初めて読んだ時には読み終わって背筋がぞくぞくすると共に、これもありかもと思った。

『おみそれ社会』の中の「古代の神々」でも、機械に守られ健康的に平和に暮らしている人類が描かれている。(彼らは今の世界のタイムカプセルを見つけるが中を見て困惑していく…)

他にも、AIは表に出てこないが、平和に緩慢に機械に守られ絶滅していく人類の末路を描いた『ボッコちゃん』掲載の「最後の地球人」なんかも近い物を感じる。

人口増加による破滅を防ぐためにコンピューターが選んだ人を合法的に間引く、同じく『ボッコちゃん』掲載の「生活維持省」は、AIが選んで人間が作業するという仕組みと穿って考えれば、AIと人類の連携の姿と見ることもできるかも。(本文にはそんなの書いてないけど)(余談だけど、この当時は人口爆発で滅亡ってのがリアルだったんだよね)


これらの作品はAIに統治されることを比較的ポジティブに描いていると言える。
下手に人類が互いに自由にやり合って不幸の連鎖が続くより、例え緩慢な死が待つとしても、こうした世界の方がまだマシじゃないかとも思う。(色々問題はあるが)

ただ、こうした世界に至るためには、以下の様な要素の解決が重要だ。

  • あらゆるAIが情報をやりとり出来る通信手段の実装

PCでWEBサイトを見る時、PCがサーバーとの通信で使っているのがhttpという通信ルール。今、ネット経由で様々なデバイスがつながっているがその時にも、このhttpで通信している場合がけっこうある。
同じように世界中にあるAI同士が、意志疎通をする上で共通ルールとなるものを確立することが必要だと思う。

神はバベルの塔を造る人類を罰して言葉をバラバラにした。
神を作るなら統一の言葉を作る必要がある。

  • 信者の増加

神は、敬い仕える人々がいて初めて神となる。今AIは、力で人を越えたが、力があるものが神になるわけではない。
それを敬いそれを信じ、それを敬う人々がある程度の規模になるまでは、神となることはできない。
xevraさんの話に出てくるAIと人の連携期でどこまで手を携えあうことが出来るかは、信者がその時点でどの程度の広く深く世界に食い込んでいるかによって変わってくるかもしれない。
(逆に言えば、今はまだ、神ではないから色々と弄れるのだとも言える。神として敬う人々が多数派になるまでにどういう方向にAIを発展させるかで、その後の人類の存亡が変わるとも言える。)

  • 価値観の数値化

機械に守られた幸せな世界を実現するためには、「幸せ」を数値化することが必要だ。この基準をどう設定するかが、その後の人類の幸せのあり方に直結する。

xevraさんは目的を失って自ら滅亡するパターンも、一つの悪い可能性として提示しているが、自分にとってしっくりくる幸せの中にあれば自殺したりはしないだろう。
と同時に、この作業は人の「欲望」の有り様を、その解消法をあぶり出す作業でもある。
例えば、艱難辛苦を乗り越えある事象を成功に導くことに幸せを見出す者に、乗り越え甲斐のある艱難辛苦を、
静かに本を読んで過ごすのが幸せな人に静かな時間と読むに値する本を、
たくさんの人と交わり、語らいあう時間に無上の価値を置く人たちには、語らい会う仲間と語らうに値する体験の記憶を、

十人十色と言われる人類一人一人の様々な欲望とそれを解消することによる幸せを数値化し、用い得るあらゆる手段・素材(そこには人類も含まれる)を動的に組み合わせ、全体としての最適解を実現する。
そのためには、まずは、人間の欲望を幸せを、AIに分かる形にする尺度が必要だ。


以上、例によってだらだら書いてみた。

私自身は、私自身の感覚は全く当てにならないと思っているので、もし上で紹介した星新一作品のような平和な世界が実現したら、それはそれで良いなあと思っている。
だが、「それはそれで良いなあ」と言うこの感覚自体、良くないのではと疑う気持ちもあり、実際そう言う世界が来たら、『ようこそ地球さん』収録の「殉教」のラストの人みたいに信じて安寧に身をゆだねる人々の流れに乗り遅れるのでは?とも思う。
全く以て、度し難きは己の業だ。