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資本主義は価値交換システムであり平等や公平を実現する仕組みではない

gendai.ismedia.jp

この記事に対し

「たった62人」の大富豪が全世界の半分の富を持つ 〜あまりにも異常な世界の現実 ピケティ、クルーグマンも警告 | 賢者の知恵 | 現代ビジネス [講談社]

資本主義を評して「皆が同じ土俵で勝負している」という夢を語る人が未だにいることに驚く。同じなのは「貧乏人も大富豪もお金を価値交換のために使って(使わされて)いる」ことだけ。

2016/02/24 11:35

ブコメしたのだけど補足。

「資本主義における成功者は、みんな同じ土俵で戦った上で富を勝ち取っているのだから、その成果は認められるべき。」という主張は、こういう話の時によく出てくる。

これは一面では間違っていない。

資本主義とは、資本を価値交換システムとして利用し経済を成り立たせている仕組みのこと。
一般的に資本として貨幣が使われている。

資本主義経済における成功者は、このシステムを利用して他者との価値交換において自分の利益を多く獲得した者と言える。
それは当然、その人の能力によって成果は左右されるのだから、成功者が成功者足りえる状態の一部は彼が土俵上で戦った成果であるというのは正しい。

では、彼らは貧困層と同じ土俵で戦っていると言えるだろうか?
例えば、株式市場で富を得ている人がいるが、彼らは日々アルミ缶を拾い集めて生活の足しにしている人々と同じ土俵にいると言えるだろうか?
なるほどどちらも資本主義の下で生活している。彼らは価値交換を資本のやり取りで行っている。
だから同じ土俵?それは違うだろうと思う。

ボールを使った遊びがある。
サッカーも野球も、なんならビリヤードもパチンコもボールを使った遊びだ。
では彼らは同じ土俵で戦っていると言えるだろうか。言えないだろうと思う。
彼らに共通しているのは「ボールを使ったゲームをしている」ことだけだ。


資本主義経済の中に暮らしているということは「貧困層も富裕層も価値交換に資本を使っている」ということで、「お金と株を交換する世界」と「お金と拾ったアルミ缶を交換する世界」を「同じ土俵」と呼ぶのは極めて乱暴な話ではないだろうか。

貧困層の人々のお金に関わるルールと富裕層のそれとではいろいろと違っている。
貧困層にとってお金の有無は生命に直結する。
余裕が無いということはお金に絡む未来を思い描けないということだ。
逆に言えばお金が生命であり未来でもある。

富裕層にとってはどうだろう。
彼らが生活に困ることは多分無い。だから彼らにとってお金とはただの、本当にただの価値交換システムであり、社会を動かすインフラでしか無い。だからお金の価値は、生命や未来は全く並び立つものではない。

乱暴な球技の比喩で言うなら、貧困層は1OUTでゲームセットのバッティング勝負、富裕層は18Hをパー数気にせず回るゴルフを楽しんでいるようなものだ。

ビル・ゲイツ氏は一般市民からMicrosoftを立ち上げ世界中に影響を与えた。だから巨万の富を得る価値がある。」という。
じゃあビル・ゲイツ氏がMicrosoftを立ち上げた当時、大学に行け、パソコンを買える人は一般市民だったのだろうか?
彼が大学に行きポール・アレン氏と出会ったり、アルテアのBASIC募集の件を見つけることがなければ、今のビル・ゲイツ氏はいない。
彼の伝記などではそうした前提の幸運よりも、また、彼らが開発したと称するBASICが既存のものであったことよりも、彼らが移植作業に成功したことの方を重視する。
そうしなければ、つまり「彼らの業績」が「彼らの境遇の幸運」よりも価値があると考えなければ、「業績を上げたからその成果を得ている」という理屈が成立しないからだ。
そして、その成果が巨大になればなるほど、その業績を過分に評価しなければならなくなる。
他の人間ならどうってことなく無視される、あるいは嫌悪されるようなことですら、とてつもなく素晴らしい天才的なことのように描かれる。

成功者の伝記が、ともすれば成功者への賛辞で埋め尽くされるのは、そうしなければその成功を説明できないからだ。
なぜ説明できないのだろう。
「彼は運が良かった」と言いたくないのだ。(もし言う場合は「運も才能の内」と付け足す)
なぜだろう。
その根底には件の「資本主義経済の下では私たちは同じ土俵にいる」というフレーズが横たわっている。
それは間違いだ。私たちは同じ土俵にはいない。
だがそれを認めてしまえば「彼らは私達と同じ立場でありながら持っている才覚によって成功した」事にならない。
言い換えれば、「彼は才覚に不相応の成果を得ている」ことになってしまうのだ。

ある資本に対し「不相応」に多くの資本を得ることは、資本主義下においても悪とされている様に思う。
そこに「成功者が悪ではならない」というバイアスがかかる。何故ならそれを認めるならそのシステム自体が悪を放置もしくは推奨し得るシステムということになってしまうからだ。
だから「資本主義下ではみんな同じ土俵で戦っている」と言う。
いわば資本主義を守るために。でもそれは間違いだと思う。


資本主義は資本のやり取りで価値交換を行うシステムであるが、それだけで平等だとか公平だとかを実現する仕組みではない。
単に、武力や権威や血統などより流動性の高い物を媒介にしているだけだ。
資本主義経済下にいるだけで「同じ土俵に立っている」という思い込みを取り去り、それぞれが「同じ土俵」で戦える状況を目指して努力することこそが、今求められているのではないだろうか。