読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

いないと思ったその時にいなくなる

www.newsweekjapan.jp

全くもって何故にこうかと思う。
ざっくりまとめれば「現在の日本は経済格差社会であるにも関わらず、社会的にはむしろ世代間格差の方が大きいから。」という話になるだろうか。
つまり貧困層が所属する世代によって分断されていてつながり様がないと。
原因は今は昔の「一億総中流時代」の幻想なんだろうか。みんな一緒の時代があったと感じている層が多数派である内は、格差格差と言いながら格差是正に動くムーブメントは起きにくいのかもしれない。

この記事にはこうブコメした。

なぜ日本には「左派勢力の旗手」が出現しないのか? | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

左派思想って絶対平等が根底にあるが、現状の世界は上下・強弱のある構造体で、外交や経済政策には「現状を認めつつ理想に近づける」バランス感覚が必要になるが、そういうのを不純と見る傾向が他民族より強いかも。

2016/02/05 10:14

これは言い換えると、別な記事で出ていた「武士道」的な感覚とも通じる気がするのだ。

www3.nhk.or.jp

この記事に対しては、

“武士道精神“が根底に 日本人がドーピングしない理由 NHKニュース

だからドーピングした人を士道不覚悟を理由に抹殺しても構わないと言う心理にもつながる。こういう時に使われる武士道って言葉は大体ナルシシズムの象徴で裏返せば醜悪なものにつながる場合が多い。

2016/02/05 09:20

日本においては純なるものを神聖なものと見る傾向がある。
いやこれ日本に限らず他の国でも多分あるのだけど、他国だと宗教観との兼ね合いで神性を否定されるものに神聖視されることがあるとは思う。
付喪神信仰などはその典型だろう。存在し続けるだけで神(もしくは祟り神)になるという感覚。
あるいは(これはキリスト教圏でもあるけど)処女を聖なるものとして見る感覚。
あるいは一途に一つのものに取り組み続ける職人を様々な事ができるルネサンス人よりも高尚と見る感覚。
それらが日本独自とされる様々な文化を生むしガラパゴス化も推進する原因の一部にもなっている。

話を戻す。

左派というラベルは嫌いなのだが(話の幅が広すぎなので)、「その旗手となる人間は絶対平等を体現した人で無くてはならない」と考える人が多いのが、日本で左派の旗手となる人間が出にくい原因じゃないかと思って上のようなブコメをした。

例えば富裕層から出て、有名大学を卒業し、海外留学等もし、親の地盤を活かしながら高給の取れる職に付き、悠々自適な生活を送りながら「格差是正」を訴える人と、実際に貧困層にありながら同じ主張を唱えるのとどちらを信用するだろうか。
絶対平等の考え方で言うならどっちも信用度は同じなんだと思うのだけど、普通は後者を信用するのではないだろうか。

もちろん、女性問題に女性が、貧困問題に貧困している者が、障害者問題に障害者が携わることの少ない現状は間違っているのだけど、だからと言ってそうでない人間がそこに足を踏み入れることを拒絶することは、それはそれで間違っていると思う。

何故なら、あらゆる問題は加害者と被害者と傍観者の組み合わせで存在する。
左派的な考え方はその中でも一番不利益を被る被害者を救援することで平等を目指すという考え方だと思うのだけど、それを実現するには当然加害者や傍観者もその論議に引きずり込み、意識を変えていく必要がある。
だから加害者側傍観者側に属していると思われる人が被害者側の世界に興味を持つことは間違っていないし、むしろそれを促進すべきなんだと思う。

だけどその時、上に書いた「純なるものへの信仰」が邪魔をする。
「被害者を守ることに純粋であるべきだ」と考えると、加害者や傍観者の視点を紹介する文章を見るだけでムクムクと嫌悪感を感じたりしてそれを理解することを無意識に拒否してしまったりする。

(もちろんこれは私のことだ。少なくとも若い頃の私はそうだったし、今も気が付くとそんな想いに囚われていることに気がつく時がある。)

でも、そこで拒否してはダメなのだ。
それを理解し受け入れた上で、相手の視点・立場・ルールの下で、相手を自分と同じ方向へ誘導出来なければ状況は変わらない。
現状の世界はすでに上下や強弱や因縁の絡みあった構造体であって、それを変形させるにはそれを理解し、その弱点を見つけて崩しその影響を見極めながら、悪影響少なく全体としてより平等になる方法を模索し実行することが必要なのだ。
経済や外交や既得利権などの問題は正にそのオンパレードだ。
そしてその解決には、経済でも外交でも既得利権の世界でも、それぞれのエキスパートでなければ実効性のある作業は出来ない。

絶対平等の世界の旗手に絶対平等を体現する人、それこそブッダの様な人を想定する限り、そんな人はけして現れない。
純粋なる者への信仰と絶対平等への理想を切り分けるべきだ。
絶対平等への理想と現実も切り分けるべきだ。
その上で理想を手放さずに現実を変えることを模索していければ、参加者の裾野は大きく広がる。
ブッダは王宮に、キリストは市井の大工の家に、ムハンマドは商隊にいた。
左派の旗手も今の左派政党の中に埋もれてるかもしれないし、右派を含めてそれ以外のどこかで自分の運命も知らずに考えを深めているのかもしれない。


私が個人的に共産党に惹かれるのは、ずっと理想を掲げ続けて来たところだが、同時に幻滅していたのは理想のためには現実を忖度しない傾向がある辺りだった。
だから「国民連合政府構想」を志位委員長が持ちだした時は凄いと思った。理想のために現実に切り込もうとする姿勢を見せたからだ。
それに対して民主党はダメダメぶりを遺憾なく発揮している。
中央に立つ人々が「自分の理想と現実」の前で前者をずっと握りしめている。少なくともそう発言して話を止めている。
理想は理想、現実は現実だ。
理想のために現実に「ある」ことが重要なのに、理想を語ってどんどん「無くなって」いっている。
残念ながら、右派的とされる人々の方が、元々既存のものを肯定するところから始まる分こうした作業は上手いし早い。
「そこにある」もしくは「すでにあった」ことは「この先にある」よりもずっと力強い。
だからどんなに、真の意味で言えばよっぽど売“国民”的な政策を打ち出すような政府でも、じわりじわりと支持率を回復させてしまう。

世の中は色即是空とよく言う。
それが厭世感と繋がると現状破壊が正義の様に語られてしまう。
だが御存知の通り色即是空は空即是色で、無いということは無いということがある状態でもある。
現状はだから「左派勢力の旗手がいない」という状態があるのだ。
その見方もまた色ではないだろうか。こだわりというか、自動思考というか。
「左派勢力の旗手がいない」という言葉にこだわると、本当に左派勢力の旗手となりうる人が現れた時にそれをそうと認識できなくなる原因にもなる。煩悩だ。
世の中は色即是空というが、この目に映るものは全て色だ。人間の五感は色だけを感じる。だから人間が感じ取るこの社会も経済も法律も思想も全て色だ。それを動かそうとするのもまた色だ。
絶対平等・色即是空・だから何をやっても無駄。
ある人を左派勢力の旗手と捉える、これもまたどうせ空、だから無駄。

そんな厭世観的なものも「左派勢力の旗手がいない」ことの根底にあるような気がする。
純粋であることは無に近づくこと。中島敦の「名人伝」だね。
左派的な考えを追い求めるほど、その究極は無であらねばならないと考えてしまう。
理想の「左派勢力の旗手」を求めた果てに「あること」に悲観してしまう。

だが、この悲観自体が、また色。
理想は色、現実も色、「色即是空」という言葉も色。

現実という色を変えたいなら、色であること=空であることを厭うていても意味が無い。
色と色なら、一人でも多くの人が明るく楽しく健やかに生きていける色を思い描いたって良い。
その色を一人でも多くの人と共有できたらそれはそれで良い。
どうせ色なのだ。

そうした理想の妥協とも言えるような開き直りこそが、左派と呼ばれている(たぶんかつて中道と呼ばれていた人を多く含む)人々には必要なのかもしれない。
開き直ることができたら「左派勢力の旗手」はもうそこにいるだろうと思う。

オカルトっぽいね…。



いつもながら散漫になってしまった。

言いたかったことを箇条書きで。

  • 「左派勢力の旗手」に現実を動かす力量を求めるなら「純なるものへの信仰」を一旦横に置いてその人の語ること、考え方、行動が左派的なものであるかどうかをみるべき。
  • 「左派的なもの」かどうかは絶対平等を目指すかどうかだが、それは理想を語るかどうかではなく、現実社会の不平等をきちんと認識した上で、理想へむけた方法論を持っているかどうかで見るべきで、その過程では現実社会を一旦是認する段階が必須であることを認識すべき。
  • 「現実社会の是認」とは、あるものをあるものとして見極めること。あることは無いことより格段に力を持つ、その力を認識すること。その力を認識しなければ現実は動かせない。
  • 「あることの力」が今の左派と呼ばれる人々の中で理想を語ることより軽視されがちだったことが「左派勢力の旗手」の出現を拒んできたのではないか。理想を実現するためには理想を語ることより「あること」が重要であり、「あること」を重視する人が増えれば「左派勢力の旗手は」は現れやすくなるのではないか。
  • つうか、経済とか政治とか外交とかに左派的に一本筋の通った政治家がもっともっと出て来て欲しい。