「とにかく描け」が間違いではない場面

これのブコメ読んでて感じたのだけど、こういう場面で具体的な説明が出来ないことを批判する人って割と多いのね。

もし相手が超具体的なことを聞いてきて、良いから描けと返したのなら狂ってると思うが、件のマンガは「漠然とした質問に具体的な質問を返したら漠然とした質問を返された」ということで、これは質問者が漠然としたレベルでしか絵を描くことを捉えられてないということだから、こちらの正解も漠然とした話になるよ。と言う事。

いや、たぶん、これを非難する人は「質問する側はなにを聞いたらわからないんだから、それ位汲み取ってやれよ。」と言う事で非難してるのだろう。
だがこれはブーメランだ。
回答者とて超能力者ではないのだから、それを汲み取りわかる範囲で具体的な話をするべきだ。そうしてお互いに歩み寄る必要があるというだけの話。一方的な話ではない。
(なんだか発達障害でよくある場面みたいだ…)

しかし、それでもなお回答者が悪いと言う人は何を根拠にしてるのだろうか?
たぶんその根底には「持てるものは持たざるものに分け与えるべきだ」という考え方があるのだろう。
これはまあリベラルな考え方だがそれにしたって「少しでも有効に分け与えためには相手のことを知る必要がある」わけで、知らしめることを拒否して分け与えられることを願うのは間違っている。

あるいは中には「技術や知識は伝えたところで自分の分が減る訳じゃないんだから、けちけちすんなよ。」という人もいるかもしれない。確かにそういう面はある。
だが、教えるための時間的、肉体的精神的な負担はどうなのか。特に時間は不可逆的だ。一度減った時間は取り戻せない。
しかも問題点が切り分けられてない状況だ。その負担は大きくならざるを得ない。

「減るもんじゃなし」の根底には「分け与えても減らないものなら、それを行う度に全体の価値が倍々に高まるんだから良いことだ。」という考え方がある。
だが、ならばこそ、「どうせ分け与えるなら少しでも効率よくなるよう努力すべきだ」もまた真だろう。


具体的な話をするためには具体的な話を理解できるベースが必要だ。
絵筆を取りなにか描いていればおのずとわからないところ、出来ないところが見えてきたりする。具体的な話はそこからだ。
インストールしてないゲームの攻略法を教えてもそのゲームは攻略できない。まずはインストールするべきだし、プレイしてみるべきだ。
そういう意味において「とにかく描け」は間違いではない。