民主主義的な世界組織

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この記事を読んだ。とても読み応え合った。
枝野さんに付いては批判も多いけど、個人的にはあの時一番きちんと政治家としての仕事をしていた人の一人だと思っている。

非常事態に備える憲法改正は必要か~震災・原発事故時の官房長官・枝野幸男氏に聞く~(江川紹子) - 個人 - Yahoo!ニュース

非常にまっとうな意見だと思う。また、大変特殊な緊急事態に関する経験者の言葉という点でも貴重。テロリストと難民、それぞれへの対応をきちんと切り分けるべきというのは重要。

2015/11/25 11:10

ブコメしたのだけど補足というか漠然と思いついたことを。

フランスでのテロ事件この方、世界はイスラムvs反イスラム的な対立の構図を強めている感じがするけど、テロ戦争って世界が融和する方向性において出て来たものなのではないだろうかと。

枝野さんの言葉から引用

明らかに世界は、強権をもって安全を確保することが困難な時代に入っている。これは世界全体が法の支配の下に入らないと、安全を確保できない。そういう事態が、世界で50年100年単位で起こり始めているんだと思います。

サダム・フセインの倒し方は、法の支配には全く基づかない、力による排除だった。力によって排除されたんだから、力によってやり返すという正当性を与えてしまった。こちらはあくまでも法に基づいてやるという立場であるなら、力づくで排除するというやり方は、説得力をもたない。簡単ではない、もっと時間はかかったろうが、曲がりなりにも国連というシステムの下で、国際法に基づいて対応したなら、状況は違ったのではないか。

これはつまり経済や情報のグローバル化がバックにある話なのだと思う。

大航海時代以降、近代までの世界の歴史では、欧米の大国が世界各地に植民地を持ち、それを獲った獲られたで戦争が起きることが多かった。現地で起きる戦争だけどバックには欧米の大国がいて、その代理戦争を行う形。
たぶん冷戦終結まではこれが顕著だった。
この期間にだって世界中の物資が世界中を飛び交ってたり、ヨーロッパの某国の兵士が地球の裏側で戦ってたりしていたわけだから、物理的なグローバル化はすでに始まっていたわけだけど、昨今話題になっている経済や情報のボーダーレス化としてのグローバル化は、冷戦終結を期に始まったように思う。(その前にも無かったわけではないけど、冷戦終結で一気に拡大した印象)

で、経済や情報はボーダーレスに飛び交うようになったけど、政治的なボーダーレス化はどうだったろうか?
国連はあるけどあくまで国家の連合の中心であって国家の上位機関ではない。
そして例えば台湾とか微妙な立場の国・地域はここに参加することが出来ない。「主権国家であること」という条件があるから。
同じように、例えばISがテロ行為を止め参加を求めても難しいだろう。現状では主権国家ではないから。
国際連合は国家という枠組みの上に成り立っている。国家という枠組みなしでは上手く機能しない。(しないとは言わないがしにくい)
経済や情報のボーダーレス化に比べ、政治にはボーダーが今でも引かれているのだ。
で、今世界中で起きている様々な戦争・紛争には、そのギャップが大きく作用しているように思う。

例えばTPPの問題。
経済のボーダーレス化がこれで進むと言われているが、政治的なボーダーは存在する。
インドを植民地にしていたイギリスでは産業革命以降綿製品の生産力が上がり、そこで作られた大量の綿製品はインドなどに輸出された。
これによってインドでは綿製品の地場産業が壊滅的な打撃を受けた。インドは綿花の大量生産地なのにそれを使った製品はイギリスから買う状態。
これに対しガンジーはイギリス製品に対するボイコット(不買)運動を始めるのだけど、これ、同じ一つの国家内の話だった場合どうだろうか。
もちろんそれでも問題は無くならない。でも、国家レベルで解決策を検討・施行することは出来る。
TPPにしてもそうで、日本とかアメリカという国家の枠を解消しTPPを締結した国全てが一つの国家として存在する状態になった場合、問題が発生した時にそれを解消する可能性は出て来る。
だが今はそんなものは存在しない。国家の枠を越えた問題を国家の主権を超えたところで解消してくれる存在はない。(登場してほしくないとも思う)
強いて言えば国連なのだけど、国連は参加国の主権を超えた権利など持たないし、参加できない国や地域が権利を主張することも難しい。
そのズレ。

グローバル化の進む世界と言うのは世界の融和が強制的に進む方向性なのだと思う。
冷戦以降、世界はアメリカの覇権の元でのゆるい融和の状態に入った。
がそのアメリカの凋落により、その構造はほころび始めている。
融和と分裂の狭間を行ったり来たりするそんなあやふやな状態。
これもまた世界がより一層融和する方向性に進むための産みの苦しみなのだろうか。
フランスやその周辺国は今回のテロを「自由への迫害」と言っているけど、それはそのままシリアに住んでいる人々への有志連合の行為への批判にも繋がる。今の国連でそれを審議することは出来るだろうか。
主権国家でなければ投票権すら存在しない。
今の日本で、住人が国会議員に立候補出来ない地域があったとしたら重大な人権侵害として批判されるだろう。たぶん。
でも、グローバル化の進む世界では、国連に加盟し意見を述べたりその決定に投票する権利を有さない地域・住民は存在している。
そんな国連の状況は、平等や民主主義が貫かれていると言うことは出来ないだろう。
国連は民主主義を推奨するが、自らのそれは完成形には遠いのではないだろうか。

「テロリストと国家の戦争」と捉えている限り解決策は見つからない。
経済も情報もボーダーレスが進むなら政治もまたボーダーレスが進もうとしてもおかしくはない。
国家の枠組みを超えた枠組みが登場することが今、求められているのではないだろうか。

これはまあ、あれだ、「平和のための世界征服」的な話だ。
世界を国家の枠組みを超えて捉える視点とそれによって作られた組織が成立することは、既存の国家からしたら「世界征服」でしか無いのかもしれない。
ラノベなら確実に悪として描かれるたぐい。
少なくとも既存の価値観から言ったら正義ではなさそうだ。でも、

今の欧米諸国(特にアメリカ)は「民主主義」を旗印にしているが、国際状況を一つの国家として見た場合の世界の状況はけして民主主義的とは言い切れない。
真に民主主義を旗印にするなら、既存の「民主主義の敵」たちを含めた一つの枠組をどのように民主主義的なモノとしてデザインするかが肝心なのではないだろうか。イズムとしての政治的な旗印としての民主主義ではなく、システム思想として民主主義を捉え世界組織として形にすることが求められているのではないだろうか。