読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

神はなにを求めているのか

www.huffingtonpost.jp

この記事読んでブコメしようと思ったけど言葉がまとまらなかったのでブログで書く。

小さいころ、何故キリスト教の全知全能の神様は悪魔を作ったのだろうかと考えたことのある人は結構いると思う。
だって、全知全能なら完璧な世界を作れるはずで、知恵の実に手を出さない、悪魔の言葉に惑わされないそんなアダムとイブを作ることが出来たはずなのだ。

それが何故?

神様だったら、あのアダムとイブだったら知恵の実食っちゃうし恥ずかしくなっちゃって罪悪感持っちゃって、パラダイスロストしちゃうだろうって簡単にわかったはずだ。その長男が次男を殺しちゃったりすることも、己の知恵に慢心して天に届く塔を作ろうとしたり、神様の子を名乗る男を磔獄門にしちゃったりすることもわかったはずだ。

それが何故?

それは、つまり、「それがやりたかったこと」だからと考えるのが一番合理的だ。

ゲッセマネにおいてユダがキリストを裏切る場面。
新共同訳聖書ではキリストはユダに対し「友よ、しようとしていることをするがよい」と言ったと書かれてます。原文や他の訳だと「何故ここにいるのか?」という疑問形の文章らしくこれは意訳だと言われている。
これ、キリスト教系の解釈本では、キリストがユダに対し裏切るのかどうかの最後通牒を与えているという風に書かれていることが多いが、すでに裏切り行為である「この人がキリストですよ」という合図の接吻を行った後の言葉なのだ。言うならもっと前の段階で言うべきだし、裏切りを止めさせる、考えなおさせるためならそうなる前に行ったはずだがそうではない。
これも共同訳の意味合いの方が正しいのだろうと思う。その意味するところは、ユダの躊躇を断ち切らせるためだったと考えた方がしっくり来る。
…そうグノーシス派のユダの福音書の解釈だ。

神様を信じるなら、神様が作ったこのグダグダな世界もまた神の意志によるものとして信じる必要がある。そうした方が合理的だ。
と言うか、この世のあり方が神の意志に沿わないと考えることは神の力を疑うことということもできる。

で、だ、

そうは言ってもそれを受け入れるのは難しい。
神=世界を受け入れることが出来ないから人は宗教に頼るのだ。
それがとにかく受け入れろでは途方に暮れてしまう。

そうなると、それよりももっとわかりやすい図式が欲しくなる。
素晴らしいわかりやすい神の正義とそれを邪魔する悪。
多くの宗教が聖なるものと邪なるものの対立構造を描くのも、それがわかりやすいからだ。
神の信仰に生きる私は神の正義に守られる、私の信仰を妨げるものは悪魔の眷属でありやがて神の正義によって滅ぼされる。

ISのテロリストたちが目指していることの一つはこの構図の現実化なのだろう。
彼らはこの世を神の正義と悪魔の悪に分けて見ている。そしてそれを世界の真実にしようとしているそして彼らの多くは自分たちの信じる正義の為に戦っているつもりでいる。
そうでない人々、おそらく今回フランスでテロを起こした連中の多くは敢えて悪を演じているのではないだろうかと思う。
悪を演じることは神の正義を信じることの鏡像だ。
イスラム国のテロリストを名乗りアッラーの名のもとに、自分ごと世界を破壊する、自殺に一人でも多くの人々を巻き込む。「敵にとっての悪になる」ことが味方にとっての正義となるという考え方。

だから彼らをして「狂気の集団」「悪魔」「虐殺者」等々と呼ぶことは、彼らを称揚する言葉にしかならない。
彼らを「悪」として断罪できるとしたら彼らの信ずる神であり、彼らが奉ずる法だ。
彼らの神や法を学ぶつもりがないなら、むしろ彼らを彼ら以上の「悪」と見ることはやめるべきだ。
彼らを「自由への迫害者」「人類の敵」と呼ぶことは、自分たちもまた彼らと同じものになることを意味する。
つまり「自分の信ずる正義とそれに反する悪との戦い」というわかりやすい構図の熱狂に取り憑かれたものだ。
彼らに正義はないのなら、同じ構図の熱狂に取り憑かれたものにも正義はない。

もちろんテロリストの行為を無条件に許せというわけじゃない。それを肯定しろというのでもない。
が、否定をするなら、批判・攻撃をするなら、より効果的に的確に彼らのダメージになるように行うべきで、これまでの延長で「こちらの正義」による一方的な批判・攻撃を行うことは、彼ら(とこの混沌とした世界戦争状態)を助けることにしかならないと思う。

彼らがわかりやすい構図に世界を引きずり込もうとするなら、私たちは世界の多様さを複雑さを混沌を光と闇と白暮とを飲み込んで世界を見つめるべきだ。
正義も悪もごった煮である世界を肯定することこそがおそらく件の記事で高橋源一郎氏が言う「この世界が生きるに値する場所だと信じさせること」であり、そここそ、わかりやすい世界をこよなく愛する彼ら(と彼らとの戦争によって利益を得る人々)が最も嫌がる世界だろうから。

とは言うが、私自身は日々のあれこれにどうにも絶望してしまい勝ちだ。「こっちが正義あっちが悪」のわかりやすさにそそられる。
それに飲み込まれないようにしながら、なお、より良い状態を目指すにはどうしたらいいのだろうか。


たぶん、全知全能の神が求めているのは、欠陥だらけの人という存在が、自らも絡みながら流転変遷する混沌とした世界の中で、それでもより良く生きようと試行錯誤し続けていくことなのだろう。