読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

算数という世界認識

togetter.com

これ読んで、

「かけ算の順序」なんてもう古い⁈ 今や時代は「足し算の順序」‼︎ - Togetterまとめ

算数って本来抽象化された世界認識で、抽象化されたものだから成り立つルールが構築されたのだけど、それが先祖帰りを起こしている感じ。子供の感覚に則した教える際の方便が原則化されてネジ曲がった様に思う。

2015/11/18 11:52

ブコメしたのだけど補足。

例えば「ある所に人がやってきてそこにいる人が増えた」。
これをより抽象化していった果てに算数・数学が生まれたのだと思うのだ。

だって、ある所ってどこだ。
そこに元々いる人とあとからやってきた人は同じ存在なのか。
増えたというけど、別にそこに住むわけではないのに増えたといえるのか。住むのなら増えたといえるのか。

小学校高学年くらいの時にそんな屁理屈を考えたことがある。
でも世界認識と言うならこれもまた世界認識の方法なわけで、実社会ではこれらも踏まえた上で様々なレベルでの世界認識が混在・併用されており、そうした個々の違いが重要になる場合もある。
だが、こと人数という点で言うならそんな個々の違いはある程度無視する必要がある。
で、どんな外見かとは毛があるかないかとかは考えずに、人を抽象化した果てに人数という概念が生まれる。
さらに人数とか物の数とか動物の数とかを処理する時に、同じルールが適用できると考え、数の概念が生まれ、算数・数学の基礎が出来ていったのではないかと思うのだ。

で、だ、

件の計算の順序問題は、こうした子供の発想が反映されていると感じる。
「最初に3人来て、その後に5人来た。」を3+5と書こうが5+3と書こうが問題ない。少なくとも本来の算数・数学のルールでは問題ない。
でも、算数・数学のルールを知らない子供にとってみたらどうか?
「抽象化したものは、それ様のルールで処理することが出来る。」というのは抽象化になれた人間には当然だが、それに慣れていない子供にとってはそうではない。
数の概念に囚われなければ「最初に来た人と後から来た人は別な人」なのだ。
別な存在をその順序に即して表現するなら3+5が正解で、5+3は間違いだ…となる。

おそらく、こうした指導方法の発端には「そうした子供の感覚に寄り添う」という意識があったのではないかと推測する。
言うまでもなくそれは間違った寄り添い方なのだが。
「子どもたちの中には最初の3人と後からの5人を別のものを考える子供もいる。その感覚は否定せず、そこから抽象化の意味合いを教えていくべき。」
という考え方。

これが、
「子どもたちは最初の3人と後からの5人を別のものと考えるので、それに即して教えるべき。」
と捻れたのではないか?
これをすることの利点は、上に書いた私の屁理屈のような反論を封じることが出来る点。
「えーー!先生、それ最初の3人と後からの5人は別じゃないですか。最初にって言ってるんだから最初に3が来ないとおかしいじゃないですか!」
と俺賢いモードで先生に屁理屈をぶつけるような糞ガキの攻撃を封じるには、予め問題の文章と答えの式を合わせてしまう方がいい。
だって、少なくとも答えは間違ってはいないのだ。
抽象化を学ぶという大事なポイントが手付かずであることを除けば。



算数・数学は本来、世界の事象を数に抽象化した上で、それを操る技であり学問だ。
逆に言えば、その抽象化こそが最大の難関とも言える。
もし私の邪推が正しいのであれば、抽象化理解への道筋をもう少し考えなおすべきだと思う。