日本的保守の本流

保守とは守り保つこと。
これまでに続いてきた政体を維持しつつ、体制における問題点を改善しつつ進んでいくことを本来は保守というのだろう。
そういう意味では、今の与党は革新派でありこれまでに続いた政体を破壊し自分たちの望むあるべき姿に変えようとしている。

ではここで守り保つべき物とは何だろうか?
私は、現時点で守るべきは、「日本は戦争しない国」とか「日本は民主的な立憲主義国家」とかと言った点だと考えている。

現時点でと言った。
保守されるべき要素はたぶん時代によって変わっていくだろうと考えるからだ。

世界は不可逆的に変化していく。
仏教で言えば諸行無常だ。
であるなら、人も国も変化していくのは当然だ。
変わらないでいると言うことはそれはそれで流れに逆行することだから、それもまた変化と言えなくもない。いずれにせよある時点に止まっていることは出来ない。
出来ない以上、考えることが出来るのはどう変化すべきか、ということだ。

つまり、革新と保守とは変わるか変わらないかではなく、一気に変わるかゆっくり変わるかと言う話なのだ。
だから、戦後七十年常識とされてきた概念を大事にしようと言うのが本来の保守だと私は考える。

注意が必要なのは、この保守と革新の本来の意味と、それぞれが、あるいはその周辺がレッテルとして使う時の意味が逆転してしまっていることだ。
(これは、政治の歴史に詳しい人に言わせれば前大戦後継続していることで、今が特殊と言い切れないようだ。)

これは、右派左派と保守革新が混同されてる点にも問題がある。
右派左派は現政体に対し親和的か反発的かを表す言葉だった。(主君に対しより近い立場の家来が右、遠い立場が左に配置されたことから来てるのだから)
だから、革新政権の右派は革新派であり左派は保守になる。
今、保守派と呼ばれる人の多くは、本来の意味では右派ではないように感じる。
左派と呼ばれてる人の多くが革新派では全くないのと一緒だ。
彼らは本来中道だったのだ。右派でも左派でもない。というよりそこまで意識したこと無い。興味すらなかった、そんな人たちだと思うのだ。
なぜこんな風になったのか。

自民党は日本で長く政権を握り続けてきた、民主党が政権を奪った時点では保守すべきは自民体制だった。
そしてそれは時代的な要素もあり、様々な不満を抱えつつもまあ安定していた。だから今の一般的な五十代以上の感覚では、自民体制が保守であり、それは当たり前であり、それ以外は革新だという感覚が強いように思う。
しかしその後、日本経済はピークを過ぎ、バブル崩壊リーマンショックや、そうした景気後退の中で、その安定感は真綿で首が少しずつしまるような、ゆっくりお湯で煮られているような感覚へとつながっていく。
変えたい、変わりたいと言う要請が強まった先に、政権交代による民主制権の誕生があった。
だが、特効薬では無かった。
反動が起きる。あの自民党の時代の方がと言う揺り返し。
それの受け皿として復活してきた自民党は色々な面で前大戦前や直後をモチーフにした、そこをモデルにしたキーワードや政策を掲げ始める。
これは「過去を理想とする革新」なのだが、多くの人はこれを保守と考えた。
民主が倒れ自民が政権を取ったとき保守と言う言葉のねじれは決定的になった。
「表向き保守政党とされる自民党が戦前をモデルに現状を変えようと革新的な政策を進めているにも関
わらず、本来それに反対すべき保守派は身動きできず唯々諾々とそれに流されていく」と言う今の状況の登場だ。

今、自民に対して反感を抱いてる人たちの多くは保守派だと思う。
いわば保守左派と言うべきか。
民主が「我々が保守本流だ」と言って獲得を目指してるのもこの層だ。
その戦略自体は間違ってないと思う。が、今の民主党では無理だろうとも思う。

民主党が政権を担ったとき、当時応援していた人々は民主に対し革新的なことを求めていた。
それは概ね失敗したと見られている。
その果ての保守発言。
上で書いたように、今の日本では説明無しの保守は右派であり自民党と言う印象を持たれている。ねじれている。
この言葉は民主が第二の自民党を目指す発言としてしか取られない様に思う。
そんなことは、本来の意味での保守層は求めていない。見誤っているのだ。

今、本当の意味で保守本流と言えるあり方はどんなだろう。
その答えは「ワ」だと思う。
日本最古の法律で神仏より王権よりも最優先で、第一条に書かれた「和を以て尊しとす」と言う言葉が、良くも悪くも、日本の保守派の守り保つべき最大のポイントだと思う。
たから、私は共産党との連合政府の樹立を目指すべきだと思う。
日本共産党はソヴィエトでも中国共産党でもない。彼らの語る言葉は革新的ではない。かつての自民党長期政権下では確かに革新的な色合いもあったかもしれないが、現状で言えば、かつてより理想として語られていたことを、今もまた語っているのであり、彼らの主張にはむしろ、自民党の保守派が進めてきたようなことが盛り込まれている。
もちろん完全に等価ではないが、余りに偏りが強い状況に置いては、カウンターとなる物の存在が中道を指し示す上で必須であり、それが現時点では日本共産党だと思うからだ。
(かく言う私も、自民党長期政権時代は共産党は理想ばかり語って実践が伴わないからだめだと思ってた。理想を語るという点でぶれないことが、これほど価値のある時代が来るとは思わなかったから。)
(じゃあ自民党とも和をつなげるべきとの声もあるだろうけど、彼らの行っている政策はどれも世の中の和を破壊するものばかりだ。自分たちの和を以て他人の和を破壊することは、尊しとすることにはならない)
(保守すべきものは時代で変わる、自民党は過去を目指してるから革新だと言っといて、古すぎるんじゃねえの?という人もいるか。でも太子の法律に戻れと言ったら確かにおかしいけど、この概念、精神はなんだかんだ言って引き継がれている。まさに良くも悪くも日本の文化となっている。それを無視するのは保守じゃないと思う。)

日本共産党を取り込み、緩やかな連携の軸となって、今の偏りのある状況を戻すことこそが保守本流の仕事であり、今自民党に反対している有権者の割と多くが求めてることだと思う。

なんせ日本は「わ」の国なんだから。
このことはけして手放しでほめそやすことではない自民党長期政権末期、民主政権時のグダグダの元でもあるのだから。
でも、その感覚、ワを求める感覚無しの政体を目指すことは、少なくとも保守ではない。

民主党保守本流を目指すなら、口先で名乗りを上げるのではなく、共産党とも手を組み、ワを以て国の行く末を構築する政策を作るべきだ。