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国立大学の学費の安さの意義

なんだかなあ。
本当にこんなこと言ったのなら、頭にウジが湧いてるとしか思えない。

大学とは、元々はより高度な研究、探求を行う人材を育てる場であり、また、研究そのものを行う場だ。
国がそれを作ると言うことは、国の金使って大学を作り維持するって事は、国として、国民の探求研究する力をより高め、研ぎ深めるためだ。

だ、が、

考えてみて欲しい。

走るのが得意な人、絵が得意な人、人と会話するのが得意な人、お金儲けが得意な人、
いろいろな人がいて、その人その人に得意不得意がある。

ある学問ジャンルを探求研究し研ぎ深めると言うのもこれまた才能だ。
ある人が発見し、ある人が関連づけし、ある人が膨らまし、ある人がまとめ、そんなこともまた向き不向きがある。

そして、その能力にはある程度遺伝はあるだろうけど、その人の能力と置かれている環境はあまり連動しない。

国家レベルで、その国の探求研究のレベルを上げようと考えたとき、その場として用意した大学に、どんな人材を入れるべきかと言えば、探求研究し研ぎ深められる人材を入学させるべきだ。

(入試という仕組みは、元々は、そのために作られたものだと思う。
つまり、先生の口利きや、有力者の推薦がなければ入れない集団ではなく、その人の持つ能力が大学で育てる価値のある能力を持っているかどうかで判断するために。それはともかく、)

国が国立の大学に補助を与え、私立に比べて低廉な学費で学べるようにしているのは、上記したような人材が経済的な理由により進学をあきらめることを減らすことに、その最大の意義があると、私は思う。

実際、国立は安いと思うから、貧乏であっても力が合れば受けてみようと思う。思える。
それがあればこそ、国立大学はより多くの才能の中から入学者を選択できる。

繰り返すが、能力と環境は必ずしも連動しない。
貧乏人にも探求研究する力を持つ人はいる(むしろそのために貧乏に陥ってる人もいるかも、探求研究する能力と生活する能力もまた連動はしないので。)。
学費を国が補助する意味は、そうした能力を開花育成させることが、国全体の探求研究力の向上につながるからだ。


それを、私立に合わせるという。
これはつまり、貧乏人が大学を目指すなら今以上に借金をしなければならないということだ。生活を、それもおそらく家族の生活も犠牲にして。
そうなればあきらめざるを得ない人も出てくるだろう。
その中には、当然上記したような能力を持つ者も含まれる。
もちろん経済的な余裕のある人にもそういう人はいるだろうし、経済力があれば高校やそれ以前に能力を開花育成し底上げすることも可能だから、現状においても見た目では、経済的余裕のある人に受験者を絞ったって、あまり変わりはないかもしれない。

だが、100人の中の10人と、1000人の中の10人で、能力のより高い人間が含まれる確率が高いのはどっちだろう。
答えは明らかに後者だ。


日本が、国の国家の国民の探求研究力を高め深め研ぎ澄ますことをあきらめたのなら、「国は金がない。無い袖は振れない。だから、後は金のある人だけで良いでしょ。」と言う判断はあり得る。
だが、その先にあるのは先細りのじり貧だけだ。

こんな判断を下せたのは、つまり大学とはその程度の物と言う価値判断があるからだ。
つまり、金持ちのための、技能アップ、学歴アップのためだけの機関だと考えているから、私立に併せて値上げなんて事を考えつくのだ。

なるほど、今の大学はそういう方向に傾きつつあるかもしれない。
だがそれは、大学に対して、その根本を問う人が減ったからだ。大学とは、研究とは、学問の府とは、青臭いそんな理想論を振りかざし、それを目指そうとする人が少なくなったからだ。
そうしない方が合理的で効率的だからだ。

そりゃそうだ。

国のための探求研究できる人材なんか育てたり、なにに役立つかわからない研究に金出すより、すぐ役に立つ人材を作り、すぐ金になることを研究させた方が目に見えて役に立つ。

だが、その流れの中で、より深いより広いより高いより精密で大胆で膨大で複雑な研究は行われず、当然それを土台にしなければたどり着けない地平は、その国には永久に現出しない。

今日はなんだか、国とか国家とか国民とかを連発して、なんだか保守派みたいだ。
でも、国立大学なんて、元々そうした発想から構築されたものだったのではないか?
国の、国民の税金を使って金持ちの師弟に大卒の免状を与えるのが、国立大学の仕事なのか?

国のために、国家や国民のために、目の前では役に立たないかもしれない、でもこれまでにない地平を開拓するための人材を育て、自ら荒野の開拓を行う、そんな偉大なる無駄使いこそが、国立の教育機関の仕事のはずだ。


私立に合わせると言うことは、そうした国立の教育機関としての使命、責任、理想を捨てると言うことだ。
大げさに言えば、だけど。

だから、私は国立大学の値上げには反対する。