政党政治の限界と打開策

志位氏の「国民連合政府」への呼びかけに対する民主党・細野氏の声などを見ていると、つくづく「政党」っていう存在が政治を不健全なものにしているような気がしてきてならない。

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(志位氏の言葉がすんなり受け入れられないのは、彼の言葉の後ろに共産党のこれまでの歴史があるからだ。それを打開しようと言う言葉なのに、そう届かないのは、共産党もまた、政党と言う集団の特性から自由ではないと言うことだ。)


宗教でもそうだが、ある思想・理念・教義を元に集団が作られると、ある段階から、その集団は集団自体の存続・活躍のために動き始める。
もともとその思想・理念・教義を実現したいとそこに所属した構成員は、いつしかその集団のために行動するようになる。
これは、集団というものの特性で、もうどうしようもないのだと思う。
だからこそ集団を束ねるものは、その集団が本来求めていたことをどのように集団自体の活動に反映させるかを常に考え行動していく必要がある。
それをしなければ、集団は簡単に暴走するし、暴走しないまでも構成員の幸いを蔑ろにしがちとなる。

党利党略を考えることは、現状の政党政治ではどうしても必要なことだ。
政党として議席を一つでも多く確保しなければ、発言権が無いのと同じ状態になるからだ。
その結果、構成員や支持者の言葉が蔑ろにされていくとしても、許容されてしまう。

これはどうにもおかしな話だ。


今の世の中、いろいろな面での多様化が進んでいて、一つの政党が、ある一定の人々の一通りの要請を受け持てるという状態には無い。
ほとんど同じような状況でありながら、個々の政策に関しては全く異なる意見を持つなんてことはザラにある。
(これは、これまでにもあったことなのかもしれない。ただ、それを発信する術を持たなかっただけかも。)
とすれば、
一つの政党の一つの政策セットに対し投票するという現状の政党政治の仕組みは、民主主義を実現する仕組みとしては現状にそぐわないと思う。

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だから、この提案は私には結構魅力的に感じられる。
これに対し、

民意反映のためには党議拘束を解除すべき | 冷泉彰彦 | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

面白い。行政がフリーハンドで法案を通せる状態ではそれぞれの法案をより良い物にしようとする動機が無い。そのことが国の形を歪なものにし、永続性を損なっている。その一つの解決案としてありだと思う。

2015/09/25 16:36

ブコメしたが、これをもっと推し進めて、自民党維新社会党のある議員達がユニットを組んである法案を作るとか、共産党民主党公明党のある議員たちが研究会を作ってある法案を研究して成果をまとめるとか、そういうことが出来る状況になって初めて、真の意味で民主主義的政治状況を作れると思うのだ。

行政府にフリーハンドを渡して好きなようにさせるべきと考える人からしたら、今の政権のような状態が理想なんだろうけど、「必ず通る」なら誰もそれ以上努力しない。
実際、安保法制の審議においては、与党は国民の理解を得るための努力はしなかったし、違憲とされる部分の修正も、問題があるとされる部分の改善もほとんど行われなかった。

党議拘束がない状態で、それでも通そうと考えたら、法案の内容を良くするとか、他の議員やその支持者に理解してもらうための手間ひまを掛ける必要が出てくる。
これは、行政府から見れば極めて面倒くさい状態だと思うが、国民から見ればそれは政治家が行うべきまっとうな努力だと思う。