読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

宗教は個人のもの

www.tokyo-np.co.jp

この記事に対し

東京新聞:揺れる創価学会員 安保法案で自民と協調「おかしい」:政治(TOKYO Web)

広報の話、創価学会を政治利用して良いのは教団と党だという本音が見えて趣深い。宗教は本来その人個人のもので、それは何千人で団体を組んでも一緒だ。一体であることを強要するのは傲慢だよ。

2015/08/30 10:06

ブコメしたのだが補足。


これを書く時ふと提婆達多(ダイバダッタ)のことを思い出して調べてみた。

提婆達多 - Wikipedia

ダイバダッタは三逆罪を犯したために破門されたとされているのだがその一つ「破和合僧」という罪は「釈迦教団を出て分派活動をすること」であるとされる。
この理屈で言えば、創価学会側が安保法案に反発している学会員を「破和合僧」の罪で破門すると脅す…なんてことも考えられそうだ。

だが、だ、その前に、

創価学会自体が日蓮正宗から、日蓮正宗日蓮宗から分派したものだ。
日蓮宗日蓮が起こした宗派だが、その前は天台宗の総本山である比叡山延暦寺で学んでおり、天台宗と同じく根本経典を妙法蓮華経としている(そしてより強烈にそこに一本化している)点で、天台宗から分派したと考えることも出来る。

天台宗は仏の偉大な力によって救われることを目指す大乗仏教というカテゴリの中にあるが、この大乗仏教という物自体が、釈迦教団による原始仏教とは別物となっている。
大乗仏教に対するものとして、出家し修行することで自ら成仏を目指す上座部仏教があるがこれだって原始仏教とはだいぶ違うと聞く。

つまり仏教の教団は、その時その地域によって様々に分派してきた。
それはその時その地域の人達が、お釈迦様の言葉や故事と自らの宗教体験との中で、もっともお釈迦様の考えに近いと思われる形にカスタマイズしてきた歴史でもある。
原始の釈迦教団を今の日本に持ち込んでもカルト教団の一つにしか見えないだろう。
置かれた状況も、社会的な要請も、個人的な煩悩の内容も、通底してはいるが大きく異る。
そのズレを無視して=その時その場のその人の存在を無視して、「正当」の形を維持しそれを受け入れる人だけを認めることが、お釈迦様の望んだ形だろうか?
多くの仏教説話は「その時その場その人に合わせて悟りに至るアドバイスをするお釈迦様」を描いている。お釈迦様は目先の違いに目くじらを立てることは無いと思う。

釈迦教団だけが正しい仏教だとする人もたまにいるが、では、どの集団が釈迦教団の正当な後継団体なのだろうか。そしてそれ以外は偽物だとして、どれがどう偽物なのか。それを証明することにどんな価値が有るのか。


じゃあ、なにがあったら仏教教団なのか?

仏教の各集団はお釈迦様を本来の始祖としそこから脈々と受け継がれて今に至るという考え方をする。どんな奇抜に見える宗派でもそうだ。(逆に言えばお釈迦様から始まったという考え方を取らない集団は仏教集団ではないと言える。あたりまえのことだが。)
だから、結局その一点。
各々が自分はお釈迦様の弟子だと考え、お釈迦様の教えを通して自らの生活の中で悟りと平安を得ることを目指すならば、表向きの所属団体が変わってもその人はどこまでも仏教徒だと言えるのではないか?
(現にどこかの仏教教団に所属している方には異論がある見方だろうけど)



だから、創価学会が学会員を会から追放することは出来ても、仏教徒であることを辞めさせることは出来ない。(ましてそれによって仏罰が下るなんてことはありえない。)

そういう意味で「個人のもの」と書いた。

宗教はそれを標榜する団体のものではない。
それを己のものとし、日々を生きる人々一人一人のものだ。