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謝罪と謝罪の間

何とも戯画的な状況。
実権はないが元首相だった人の深い謝罪と反省、
実権はないが国の象徴である人の深い謝罪と反省、
そこに挟まれた、国の最高権力者の「謝罪は終わりにしましょう」的宣言。

氏の賛同者は、氏の言葉を未来志向として受け止めているけど、DV夫が「こんだけ謝ってるんだからもう無しにしよう。子供らも見てるしさ。」と子供を出汁にして一方的に謝罪の終了を言い出した夫と別れるべきか?と小町辺りに放り込んだら、それを「未来志向の旦那さんですね」と返す人はほとんどおらず、いたとしたらそれは皮肉と受け取るべきだ。
もちろん氏は(奥さんが奥さんだから)DV夫ではたぶんないし、事は家庭の問題でもない。
だが、加害者の一方的な謝罪終了のもつ問題性は変わらないと思う。

未来志向というのは、未来において過去の禍根が影響力を持たない様な状態を目指すことだと思うが、それは、自分がキチンと禍根の処理を行うと言うことだ。
上記のDV夫の件で言えば、夫自身が自らの罪を認めること、謝罪と償い、相手が関係修復を受け入れるならDV行為の根本原因に向き合い防止治癒解消に向けた努力を行うこと、相手が受け入れられないなら関係を解消し、経済的なバックアップなどを行って相手が安心して生活できる状態を一生かけて構築維持すべきであり、そこまでやってはじめて未来志向と言えるのだと思う。
そこまでやらなければ、奥さんや子供が安心して、未来を思い描くことは出来ないし、DV夫を許すことも出来ないだろう。禍根の処理とはそういうことだ。
これを放棄し、DVがそこにある環境で育った子供は無意識にDVを当たり前のものと認識してしまい、自らもDV加害者、被害者になってしまうことが多いと言われている。
禍根を未来に残すと言うことだ。これは未来志向ではない。


では、氏は過去の禍根の処理を行っているか?
再三に渡る氏や氏の仲間の発言、氏が推し進めている法案などは、禍根の火に油を注ぐ行為だ。
今回の発言もまた、その一環と言えるだろう。
むしろ禍根を強めておいて、一方的に「過去は水に流して」という。
氏は、もう国民のほとんどは戦後生まれの人だし、未来の子供らのためという。
その子供達に、より深い禍根を残す氏の行為は未来志向とは言えないと思う。

思うに、氏の語る「子供たち」とは、氏自身に他ならないのだろう。
だが、氏は子供ではなく大人だ。
それも、この国で一番権力を振るえる立場にある(そしてそれに応じた政を行う義務を有する)大人だ。
未来の子供達のことを本当に願うなら、氏は子供達に禍根を押しつけるべきではない。自ら引き受けるべきだった。


実際の所、年々歳々深い謝罪と反省を繰り返しながら、歳々年々件の国との経済的つながりは深まり強くなっている。
これはその時その時の実権を持つ人がきちんと未来志向で事に当たってきたからだと言えなくもない。
謝罪による成果は目の前にある。
氏の謝罪放棄宣言による成果は、これから出てくるのだろうか。

いや、それは阻まれるのではないだろうか。というか、阻まれてほしい。

氏の謝罪放棄宣言の前後に行われた象徴的な二つの謝罪を見て、そう願わずにいられない。