テロ時代の集団戦闘

集団的自衛権は国家間で連携して軍隊を組織し「自衛のために」他国と戦うことを想定している。

国家間の戦闘が当たり前の時代には、これが無ければ国家間の安全保障は成り立たないという側面はあったと思う。

でも、テロ戦術が一般化した昨今において、国家間で連携して軍隊を組織することはメリットが少なくなり、むしろリスクの方が多くなっているのではないだろうか。


テロ組織にとって一番戦いやすい敵は、明確に強力に強い支配者だと思う。
強い支配者だからこそ、それに対するためにテロ行為を行うことが(少なくとも彼ら内では)正当化されやすいし、彼らの協力者も協力しやすい。
判官びいき的な話だが。

一方、国家がきちんと運営され、国民が人種や宗教や生まれに関わらず、平和に平等に自由に生活できる国があったとして(まあ無いが)その国を標的にテロ行為を行った場合はどうだろうか?
上記の場合に比べ、彼らの行為に対する抵抗感が高くなるだろう。


テロ行為が感情的に正当化されるの「格差がある状態」の時だからだ。
言ってみればアクション映画の最後の30分間、時代劇の40分~45分頃、巨大で無敵の悪が主人公の八面六臂の大活躍で倒される時のカタルシス。
テロが昨今一般化した元凶はそこにあるのだと思う。

言うまでもなくテロは本来正当化されるものではない。(自衛名目を含め)あらゆる侵略が正当化され無いのと一緒だ。
それでいて、それによる事件が年々増えているのは、国家間地域間人種間民族間階層間の格差の解消が進まない状況の中、それを進めたいという人々が取りうる中で一番効果的な戦い方として認知されたからだろうと思うのだ。

もしそれが正しいとするなら、格差が緩和されない限りテロは効果を上げ続ける。


ではそんな時代に、集団的自衛権により他国と共闘することの意味はなんだろう。

テロを取り締まる上で国家間で情報を共有することは重要だ。いざテロ組織を撲滅しようとする時、軍事的なバックアップがあることは心強いとも言える。
だが、国家間で共闘するということは、テロ組織にとってより巨大な敵の一部になることであり、テロ組織の標的に自らなることを意味する。
また、テロ行為の最大の利点(=守る側の弱点)は敵と非戦闘員の区分けが出来にくくなることだ。それは広報部隊も含め安全確保のためのコストやストレスの増大を意味する。
そのリスクやコストと、得られるリターンを考えれば、リスクやコストの方が大きくなるように思う。


ではどうしたらいいのか。


少なくとも対テロ戦においては、より自由で平等で平和を愛する国であることをアピールすることの方が、軍事的に他国と強調することよりも戦略的に重要になると思う。
何故かといえば、国家間戦争の場合は、その国の政府が敵と認定するかどうかが重要だが、対テロ戦争においては、テロ組織を後援する人々がその国を敵と認定するかどうかが重要だからだ。テロ組織は後援する人々の支持を失えば存続は出来ない。

また、以前もブコメなどに書いたがテロ組織を後援する人々との交渉ラインを持つことも重要だ。

(じゃあ、例えばよく語られる対中国戦では?
話すと長くなるので割愛するが、こちらにしたって上記のような方法は限定的ながら効果はあるだろう。中国国内なら情報を規制その中でチベット人ウイグル人を虐殺しても「国内のこと」と言い張って情報遮断も出来るだろうが、十分に開放的に情報発信が行われている自由で平等で平和な国があってそこを改めて自国に併合しようとしたら、世界中からの非難は避けられない。アメリカ他の国が出兵する言い訳も立ちやすい。
だが、元より対立している国同士の場合どうか。
アメリカは動いてくれるかもしれない。でも他の国は?2昔前とは違う。)


たぶん分散した上でゆるいつながりを構築すべきなんだと思う。

敵と認識できない状態に持ち込むことが必要なんだと思う。
なにかでトラブルになっても搦手でそれを拡大させず、むしろ譲歩を引き出す材料にするような柔軟さこそが、今の国際状況においては国家の強靭さなのだと思う。

理想の話ではあるけど。