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人工知能と人の知能の違い

business.nikkeibp.co.jp

この記事に対し

結局、AIに負ける心配がない職業とは?:日経ビジネスオンライン

物理的な身体が無いとどうにもならない仕事は多いので、リストされた仕事のほとんどは、人工知能を乗っけた義体の開発が進むか「身体が無くてもOK」と価値観が変わらない限り無くならない。

2015/04/30 09:17

ブコメしたが補足。

マーケティングなどでよく言われるのが「スペックではなくそれを使って得られるベネフィットを伝えるべきだ」という話。
これはつまり、“本来の目的”と“それにまつわるイメージや物語”では、後者に反応する消費者が多いということだ。

例えば「手造り」という言葉。
製造機械が精密さとスピードを増し、人工知能の経験値が上がったことで、その日の気温や湿度、材料の状態に応じて最高品質の和菓子を作ることが出来るようになったとして、それでもなおある程度の人達は「手造り」というキーワードに飛び付くだろう。
作り手が紹介され、その苦労や材料・製法へのこだわりなどを語ったりしていれば尚更だ。
ここで彼らが欲しいと思ったものは、その製品そのものではなく、その製品がまとう「最高品質のものを作り上げてくれた」という物語だということが出来る。

(余談だが、SNSなどで「妊婦を大事にしよう」というスローガン的な記事より「妊婦が理不尽な攻撃にあっていた時、え?ッと思う人が味方をしてくれた!」的なちょっといい作り話が拡散されやすいのも、同じ理由だと思う。より言えば、教育の現場で「江戸しぐさ」や「水からの伝言」が愛用されるのもまた同じ理由と言えなくもない。)

人工知能が現状苦手とすることは「物語の創作・表現と認識・評価」の部分だと思う。
そして、現状「物語」には身体(というか物理的存在)がついてまわる場合が多い。

例えば、上記の手造り製品の場合、手造りである旨を文字での告知するだけより、それを作っている時や作っている人の写真を添えると断然効果が高まる。
これは、私達が物語の信憑性を、その物理的存在によって補完する傾向があるということだと言える。


逆に言えば、人間と遜色ない義体を持ち、物語を創作・表現・認識・評価できる人工知能が出来たとしたら、今、人間が行っている仕事の殆どは、それによって代替可能になるだろうと思うのだ。

その時、「仕事をして糧を得る」という今の世界でごく当たり前の物語はたぶん崩壊する。それによって成り立っている社会のシステムもたぶん変わらざるを得なくなる。

どの様に変わるのだろう。
それとも変わることを拒否するのだろうか。