格差社会は「努力が報われない社会」だ

ビジネス系のメディアはあっちを見てもこっちを見てもピケティピケティだが、そうした記事を見てて、格差の是正に対して懐疑的な意見を述べる人の多くは「格差の是正よりも努力の報われる社会を」と訴える。

日本の高額所得者トップ1%の平均は1280万だそうだ。その中の多くはそれだけの努力し、その結果今の収入を得られるようになった方だろう。とは思う。
だから闇雲な格差是正は、そうした努力の価値を無にすることに感じられ、批判にまわるのはごく当然の心理だと思う。

だが、だ、格差社会を是正する・許容すると言う話と、努力が報われる報われない問いう話は、本来切り分けて語るべき話だと思うのだ。

格差を作る要因には本人の努力や力量といった内的要因と、生まれや育ち、人種や属するコミュニティの文化や政治や経済の状況、運などの外的要因がある。

格差社会が問題とされるのは、持つ者持たざる者の差が大きくなることもそうだが、それが固定化することに大きなウェイトが置かれていると思う。
格差があり、それが本人の努力だけでは是正出来ないほど外的要因の固定化が進んでいるから問題なのだ。

知的能力に優れていてもそれを育て活かす環境がなければ、その力は発揮されることなく終わる可能性は高い。
大学に行く行かないで生涯収入に優位な差が出ると言う、収入があれば子供を大学に行かせることが出来、その子はそのおかげで、さらに自分の子供を大学に入れることが出来…と続く状況があって、無理してでも大学行かせればその輪廻に加われるならまだマシだが、無理するとそれが借金となって折角得た増加収入が消えてしまうとしたら?大卒にその程度メリットしかないとしたら?負債を負わなければ子供を大学に行かせられない人たちは、永久にその階層から脱することが出来ない。
株や通貨取引で資産を運用なんて話がある、それは運世出来る金の無い人間からすれば金持ちだだけの特権だ。
環境は十分打開可能、でも本人の脳や身体に障害があり、他の人から見て十分とは言えない程度のことしかできないひとだったら。

格差の原因は当人の努力と運だけではなく、様々な物があり、その中には個人の努力ではどうにもならない物もある。

本当の意味で「努力が報われる世界に」とは、こうした個人の力ではどうにもならない状況があっても、その影響を受けることなく個人の努力が正当に報われえる世界と言うことも出来るのでは。
だとしたらこれは、格差の固定化を是正することに他なら無い。

貧乏に生まれても、本人が努力すれば報われ改善されえるのなら、貧乏な人の一部は精一杯努力しそれにより全体としての格差は是正されるだろう。

でも現実はどうだろうか。
その答えは、おそらく観測者によって大きく違ってくる。

格差社会の是正が無くくても努力によって収入を増やし社会的地位を上げることが出来たと思う人には、すでに半ば固定化して努力だけではどうにもならない人々が見えていない。自分の恵まれた外的要因も見えていない。
そしてそれが見えないことで、格差社会の固定化はいっそう進んでいく。

自分の努力が自分の利益になることだけを願うならともかく、本当の意味で努力が報われる世界を願うなら、格差社会の是正、少なくともその固定化の回避を目指すべきではないだろうか。