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相手の文脈に沿って追い詰めるなければ憑物は落ちない

日本が太平洋戦争で負けを認めた時、昭和天皇玉音放送を流せたのは、その後の無用なトラブルや混乱をある程度防げただろうと推測される点で、日本にとっても連合国側にとっても良かったと思うのだ。
少なくとも当時の日本は(一人一人が心の中でどう考えていたかはともかく)、すべての国民は「天皇の赤子」であり、日本軍は天皇陛下を守る「醜の御楯」であり、アジア侵略のスローガンとして使われた「八紘一宇」という言葉だって元を正せば神武天皇が即位した時に宣った「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」という言葉が元だったわけで、少なくとも国家としての戦争をする理由の柱に天皇陛下の存在を据えていた。

その根本理由である天皇陛下が自ら

“今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス」”
(今後日本国の受けるべき苦難はきっと並大抵のことではなかろう。あなたがた国民の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、未来永劫のために平和な世界を切り開こうと思うのである。)
終戦の詔勅(玉音放送)口語訳

と敗北の後に待ち受ける苦難を乗り越え平和な世界を目指そうと宣言した。
これが無かったとしても敗北は敗北だったろうし、実際の所、表立った言説はともかく内情的にそこまで天皇陛下に対する絶対的な忠誠心で動いていた人は少数派だったろうと思うのだ。
それでも、この放送によって、天皇陛下自身が戦争を止めようと言ったことによって、少なくとも当時の日本人の多くは敗戦を受け入れやすくなったと思う。

強い感情はそれ自体が生き物で、一度ある方向で固まってしまうと本人が頑張ってもなかなかそこから自由にはなれない。
昔の人はそれを憑物と呼んだりした。
日本の敗戦時、天皇陛下玉音放送によって、この憑物が落とされたと言うのは飛躍し過ぎだろうか。

さて、ISISだ。

彼らは「神の名の下」で戦いを続けている。
2人の日本人含む多くの外国人の処刑や、支配地域で行われている残虐な行為も全て、彼らに言わせれば神が命じたもうたことだ。

だが、例えば「すでに殺した人間を生きているかの様に言って交渉材料にする」ことは、嘘を付くことであり、次のようなクルアーンの記述から言ってもイスラム法に反するということが出来そうに思う。

“(これは結局)神が、正直な人々に対しその正直さに報われ、またかれが御望みならば、偽信者(偽善者)を罰し、あるいは彼らを赦されるということである。本当に神は、寛容にして慈悲深き御方であられる。”(クルアーン 33:24)
正直さの徳(後半):嘘りと偽善 - イスラームという宗教

また、彼らは自分たちの活動をジハードとして位置づけており、クルアーンには、

神聖な月が過ぎたら、多神教徒を見つけ次第
に殺しなさい。また、彼らを捕虜にして閉じ込め、
あらゆる策力をもって彼らを待ち伏せしなさい。し
かし、もし、彼らが悔い改め、礼拝を守り、喜捨
差し出すなら、彼らの道を開いてやりなさい。実
に神は寛容で慈悲深いお方である。(9章5節)

とか

あなた方が不信仰者と(戦場で)出あった時は、
(彼らの)首を打ちなさい。彼らを皆殺しにするま
で。そして(捕虜の)縄をきつく締め、その後に情
けをかけるか、戦いが終わるときまでに身代金を
(取りなさい)。(47章4節)

という、彼らがまさに従っているっぽい表記もあるが、

あなたがたと盟約した民に仲間入りした
者、またはあなたがたとも自分の人々とも戦わな
いと、心に決めて、あなたのところにやってくる者
は別である。
もしアッラーの御心ならば、かれ(神)
はあなたがたよりもかれらを優勢になされ、あな
たがたと戦うであろう。それで、
もしかれらが身を
引いて、
あなたがたと戦わないで和平(salam)
を申し出るならば、アッラーはかれらに対して戦
う道をあなたがたに与えられない。(4:90)

(以上3個所はこのPDF文章から。)

という表記もある。
少なくとも後藤さんは“あなたがたとも自分の人々とも戦わないと、心に決めて、あなたのところにやってくる者”だったはずで、その人物を「神の名の下に」処刑したことはイスラム法に反するだろう。

たぶん専門のイスラム法学者の方なら、彼らの行動とクルアーンの記述との齟齬をもっと見つけることが出来るのではないだろうか。
実際、彼ら以外のイスラム教徒やイスラム教の組織からは、彼らの行動がイスラムの理念からは外れたものであるとのメッセージが発信されている。

彼らを、私達の基準や倫理を基準に残虐だ悪魔だ狡猾だと責めることは簡単だが、たぶんそれは彼らに何も影響を与えない。
私達の思う平和や正義や理想の話も、人権とか自由とか友愛の話もたぶん通じない。
それを繰り返した所で、彼らの行為を止め、打倒し、消滅させることは出来ないだろう。
例え強力な武器で武装し、幾度と無く空爆を繰り返し、構成員を多く殺害したとしても、彼らは、彼ら一人一人の中に「神が命じている」という確信が存在する限り、全滅するまで戦うことを辞めないだろう。
もし仮に絶滅しても、むしろそれによって彼らは英雄視される。彼らのやり方は、彼らの後を継ぐ第二・第三のテロ組織を産む精神的な母体となる。

彼らを本当の意味で止めることが出来るのは彼らの神だけだ。
もし昭和天皇の様に、彼らの神が彼らに前に現れ、彼らの過ちや罪を指摘してくれたら、彼らの戦う原動力となっている“異教徒の欧米諸国と戦うジハード”という憑物は落ちる。
もし彼らがただジハードという言葉を利用しているだけの(天皇の名前を利用していた日本軍の軍部のような)存在だったとしたら尚更、憑物が落ちた時点で彼らは戦う理由を失う。存在理由を失った組織は崩壊する。もし仮に残ったとしても、最早求心力は持ち得ない。

もちろん彼らの神は語らない。
その代弁が出来るのはクルアーンに書かれているムハンマドの預言の言葉だけだ。
太平洋戦争時、アメリカは対日本の研究機関を作り日本人の国民性の研究を行った。敗戦→復興に至るプロセスにもその時の知見が活かされていると聞く。
同じように、彼らを本当の意味で打倒するためには、彼らを「残虐で狡猾で血に飢えた悪魔」という有り体なレッテルを貼ってそれ以上の理解を拒否するのではなく、今こそ彼らの神を、理念や歴史や正義や倫理を学ぶこと、その文脈の上で彼らの存在意義を問い正すこと、彼らの神によって彼らを裁かせしめることが必要なのではないか。


ISISの母体にはイラクの旧フセイン政権を担っていた人々が多くいるらしい。宗教的要素が無いならこれは、旧体制派による動乱で、そうであればここまで大きくなることはなかったと思う。例えテロを行ったとしても限界があっただろう。
ISISISISたらしめているのはイスラム教であり、ISISを崩壊させ得るのもイスラム教なんだと思う。)